The Musical Box 来日公演の演目について

 

1111日に行われるThe Musical Box公演の演目について、簡単におさらいしていきたい。ジェネシスを詳しく研究した貴兄には釈迦に説法だと思うが、今まで、歌詞の内容にはさほど気にせずにジェネシスの音楽を楽しんでこられた方には、公演前に各曲の内容を理解すると、当日の演奏を更に楽しめるのではないかと思い、僭越ながら書かせていただいた。解説はセットリスト順になっている(アンコール曲は割愛)。

 

WATCHER OF THE SKIES

英語版Wikipediaによると、この曲はトニー・バンクスとマイケル・ラザフォードが、ナポリでのコンサートのサウンド・チェックの際に書いた曲で、彼等はリハーサルをしていた場所から見える空港の荒涼とした風景を見て、宇宙人がこの荒涼とした景色をみたら、何と思うだろうという発想から生まれたとのことだ。当時、キング・クリムゾンから譲り受けたメロトロンは故障ばかりしていたというが、その古いMark IIにはとても良い響きになるコードが2つあり、その響きを基調にトニー・バンクスはイントロ部分を作曲したという。

歌詞は、SF的、哲学的であり、宇宙からの来訪者が見た、破滅寸前(破滅後?)の地球の姿に憐れみを抱くような内容になっている。アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」にインスパイアされているとトニー・バンクスやスティーヴ・ハケットの弁。最後の節では、「私たちが行った場所へ、あなたは決して行けないことを知っている」と今の世界が破滅に向かっていることへ警鐘を鳴らすかのような詩で締めくくられている。冒頭部のメロトロンの壮大でメランコリックな和声と、スタッカートを多用した四分の六拍子の定型リズム(モールス信号をベースにしているとのことだ)の上を展開していく進行。さらにはヴォーカル・パートの後、再びメロトロンのアウトロの直前には、スタッカートのリズムが四分の八拍子に変わり、四分の六拍子のキーボードとの複合拍子になるという構成で、演奏者に緊張を強いる楽曲だが、リスナーにとってはショーのオープニングにふさわしい、壮大でドラマティックな曲。前記の複合拍子の部分は、本家ジェネシスもしばしば、正しく演奏できていないことがあったという噂もあるので、さて、The Musical Boxはそつなくこなせるかも要チェック。

 

THE MUSICAL BOX

この曲の歌詞は、オルゴールから出てきたヘンリーの亡霊がシンシアを口説く様子を歌っているが、このアルバムのオリジナルLPの内ジャケには歌詞とは別にこの物語のストーリーが書かれているので、それを説明する必要がある。それほど長いものではないので、全文の訳を記してみよう:

「ヘンリー・ハミルトン=スミス・マイナー(8歳)がシンシア・ジェーン・デ・ブレイズ=ウィリアム(9歳)とクロッケー(クロケット)をしていると、微笑みを浮かべたシンシアはマレットを高く上げ、優雅にヘンリーの頭を打ち飛ばしました。

2週間後、ヘンリーの子供部屋で、シンシアはヘンリーの大切なオルゴールを見つけました。彼女は、はやる思いでそれを開けると、「オールド・キング・コール」が流れ始め、小さな精霊のような姿が現れました。ヘンリーがあの世から戻ってきたのですが、長くは続きませんでした。彼は部屋に立ちながら、体は急速に老いていき、子供の心だけが残りました。シンシアの肉体への欲望がヘンリーの中に湧き上がりました。シンシアに彼の欲求をかなえたいと口説き始めた時、物音に気付いたヘンリーの乳母が子供部屋に駆けつけ、乳母は本能的にオルゴールをひげの生えた子供に投げつけ、両者を壊してしまいました。」

ジェネシス版マザーグースとでもいうようなお話である。これを読んでお気づきだと思うが、ポール・ホワイトヘッドの描いた、アルバム「怪奇骨董音楽箱」のカヴァーは、中央にシンシアが立ち、下にはヘンリーの生首が転がり、左からやってくるのはヘンリーの乳母だろうか。正にこの曲の内容を描いているというわけだ。

 

THE FOUNTAIN OF SALMACIS

これはギリシャ神話の「ヘルマプロディートスとサルマキス」の話を基にした歌詞で、The Musical Boxの曲同様、アルバムの内ジャケットには歌詞とは別に下記のような文が記してある:

「ヘルマフロディートスは、ヘルメスとアフロディテの息子であり、秘密の恋愛の結果であった。このため、彼は孤立したイド山のニンフたちに預けられ、森の野生の生き物として育てられた。水のニンフ、サルマキスとの出会いの後、彼はその水に呪いをかけた。伝説によれば、その水で入浴したすべての人々がヘルマプロディートス(両性具有者)になったとされる。」

歌詞はナレーション、ヘルマプロディートスとサルマキスの対話という形式で進行する。伝説をモチーフにした、典型的なジェネシスの初期の作風の楽曲である。

 

GET’EM OUT BY FRIDAY

「金曜日までに彼等を追い出せ」というタイトルのこの曲は、スタックス・エンタープライズという不動産会社のジョン・ぺブルが社員のマーク・ホールに居住者を金曜までに立ち退かせるよう指示する場面で幕を開ける。住民のバロー婦人は嘆くが、追い打ちをかけるように、斡旋された新たな住居の家賃を値上げすると宣言される。しばらくして、TVで遺伝子操作で人間の身長は4フィート(約1.2メーター)に制限されるというニュースが流れ、又、遺伝子管理関係の役員が不動産を買い占めているというニュースが伝わる。身長が制限されることで、同じ物件に2倍の人間を詰め込み、儲けるために。どうも、別の不動産会社に移ったらしいジョン・ぺブルとマーク・ホールは新たな物件を獲得するため、奔走しているという場面でこの物語は終わる。人間の利己的な利益追求のおぞましさをユーモラスに風刺している楽曲。

 

SUPPER’S READY

初期のジェネシスのアルバム群の中から大曲と言えるものを考えると、「怪奇幻想音楽箱」の「ミュージカル・ボックス」と「フォックストロット」の「サパーズ・レディ」が挙げられるだろう。「ミュージカル・ボックス」も10分超えの大曲だが、「サパーズ・レディ」にいたっては、LPの片面ほとんどを費やした23分という超大作である。あまりに難解な大曲であるため、この曲の真価はかなり聴き込まないと解りづらいかもしれない。しかし、ひとたび、その真価に気づいた時、リスナーはジェネシスというバンドの深淵に引き込まれ、その恐るべき完成度の前にひれ伏すことになる。1973年発売の「GENESIS LIVE」は、レーベル側の一方的な判断で、2つのコンサートで収録した演奏を一枚組のLPに収まるように乱暴に詰め込んだため、この23分の大曲は収録されなかったのだが、当時のコンサートでのハイライト曲であることに間違いなく、今回のThe Musical Boxのコンサートを聴くことにより、ファンは当時のコンサートの真の姿を知ることになるだろう。

この「サパーズ・レディ」は、ピーター・ガブリエルが当時の妻、ジルとカリスマ・レコードのプロデューサー、ジョン・アンソニーと共にケンジントンにあるジルの両親の家にいた時の摩訶不思議な体験を元に創作された物語だ。アルバム「フォックストロット」はメンバー全員で歌詞を分担しようということで制作が始まったが、この曲だけはガブリエルが、全てを自分で書き上げることを主張したという。居間を横切ってテレビを消す。遠くに自動車の音が遠ざかり、静寂が訪れる。不安になったガブリエルは、ジルに「僕たちの愛は本物だよね?」と問いかける。その時、ジルがトランス状態となり(ガブリエルはお酒もドラッグもしていなかったと主張している)、部屋は極寒になり、エーテルが立ち込める。ガブリエルは窓の外に白装束の7人の人影を目撃した。一見、夕食の準備を終えた男女が部屋でぼんやりと見つめあっているような情景から、情景は非現実的な世界へと移行していき、支離滅裂とも思える様々な展開があり、リスナーはその幻想絵巻の中へとぐいぐいと引きずり込まれていく。

大曲は7つのパートに分けられ、1曲目の「LOVER’S LEAP」は、昔、キャンディの王子と身分の低い少女が恋に落ち、心中したという伝説に由来する言葉で、日本語にするなら「心中岬」とでもいう意味。平凡な日常が一変していく様を表現している。2曲目の「The Guaranteed Eternal Sanctuary Man」は「永遠の聖域を保証された男」とでもいう意味で、ジルとガブリエルは農夫やら消防士やらに会い、それらは「超音波科学者」であり、「永遠の聖域を保証された男」でもある。3曲目「Ikhnaton and Itsacon and Their Band of Mery Men」は「イクナートンとイツァーコンと彼等の陽気な男たち」という意味で、「Ikhnaton」は古代エジプトの王、「Itsacon」は「It’s a con」(それは騙しだの意)をスペースなしで並べた、2つの単語の韻を踏んだ言葉遊び。ここでは二人は「西方の子供たち」に会いに行き、その途中で戦闘に巻き込まれる。4曲目「How Dare I be so Beautiful?」は「どうして私はこんなにも美しくなれるのかしら?」という意味で、死体の山にあふれる戦場で「人間のベーコン」の烙印を押された一人の若い男を目にする。彼は生活保護の対象者で、彼等の前で「花」へと変容していく。ガブリエルが花に扮した衣装で印象的な部分だ。5曲目「Willow Farm」(柳農園)では、情景は一変し、そこには女装したウインストン・チャーチルがいたり、支離滅裂な情景が羅列されていく。7つの曲中、もっとも滅茶苦茶な情景かもしれない。6曲目「Apocalypse in 9/8(8分の9拍子の黙示録)は、文字通り8分の9拍子(アクセントをつけることで2-1-1-1-3-1と聞こえる)のリズム隊の上を8分の8拍子を基調としたトニー・バンクスによるハモンドのメロディが乗り、一度落ちたら、戻れなそうな複合拍子の演奏に緊張を強いられる、音楽的にはこの曲のハイライト部分と言える。このあたりの知的な発想は、他のプログレッシヴ・ロック・アクト達と一線を画するジェネシスの独壇場で、楽器はエレクトリックとアコースティック、つまり1970年以前に完成していた楽器類を使用しながらも、今までにない発想で前人未踏の緻密なアレンジをやってのけた稀有なバンドだということが再認識できる。それが終わると歌詞は旧約聖書に出てくる悪魔マゴグやハーメルンの笛吹き男、ドラゴンやらが登場し、悪魔の印として有名な「666,7本のトランペットまでも登場し、楽曲の頂点を迎える。最終曲「As sure as Eggs is Eggs」は「間違いなく、確かに」という意味の慣用句で、これには「Above all else an egg is an egg. ‘And did those feet…’ making ends meet. Jerusalem = place of peace.」(何よりもまず、卵は卵である。『そしてその足は』やりくりすること。エルサレム = 平和の地)という副題が付いている。楽曲は冒頭の歌詞がリフレインされ、この一大幻想絵巻が、現実に引き戻されていくような安堵感を覚える。そして、しゃれているのは、この大曲はライヴであってもフェイド・アウトで終えるということである。ガブリエルの扮する様々なキャラと相まって、会場にいる聴衆たちは、偉大なる音楽劇の静かな幕引きを体験するのである。

 

THE RETURN OF THE GIANT HOGWEED

昔々、ロシアの丘の上でヴィクトリア時代の探検家が発見したブタクサを家に持ち帰ると、その植物は生き物となり、人類に復讐を始めるという物語。

ジャイアント・ホグウィードという草は実在するようで、Wikipediaによると、成長すると2メートル以上もの背丈に成長し、その樹液は、人間に対しては深刻な植物性光線皮膚炎の原因となり、水疱や長期間痕の残る傷、眼に入った場合は失明を引き起こす。英国では1981年に植えたり、繁殖させたりすることが法律で禁じられた。

歌詞の中で歌われ、ガブリエルが扮するような化け物ではないが、毒性が強い植物のようだ。

 

 

山崎尚洋

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